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【麻雀企画集団バビロン総帥】
​ ば ば  ひろかず  

​馬場 裕一

1959年5月1日東京生まれ
血液型O型
立教大学文学部日文科入学と同時に(当時)史上最年少で麻雀プロになる。東京六大学麻雀リーグ戦では立教大キャプテンとして出場。むやみにチンイツを狙う雀風を見た(当時明治大学の学生雀士だった)片山まさゆき氏「馬場君のチンイツは、たまに本当にテンパイしていることがあるから気をつけた方がいい」と評し、「メンチンのババ」と名づけた。その後、大学はちゃんと中退し、「近代麻雀」などで編集・ライター・劇画原作者として頭角を現す。ライターとしての評価は高かったものの、原稿の遅さとキャバクラ通いが災いし、担当編集者を病院送りにするなど、波乱万丈の人生を周の人々に経験させる。その姿を見た(すでに超売れっ子漫画家になっていた)片山まさゆき氏は、自らの作品「スーパーヅガン」「ぎゅわんぶらあ自己中派」などに「ババプロ」として登場させ、ありのままの姿を赤裸々に描いた。1999年、一念発起して有限会社バビロンを設立。現在は、「ババプロは実在の人物だったんですね。ちゃんとした人間の姿だったので驚きまた」とか「今日は何時間遅刻するか楽しみにしていたのに残念です」と言われるど、会社を興してからは相当マジメになったと再評価されている。打ち手としてあまり「勝利」に縁はなかったが、2010年「近代麻雀オールスター最強戦」で、錚々たるメンバーの中で初優勝を果たした。
【株式会社バビロン代表取締役】
​ くろき     まさお
​ くろき     まさお

​黒木 真生

1973年5月8日神戸生まれ
血液型A型
日本プロ麻雀連盟五段。理事。早稲田大学商学部在学中に日本プロ麻雀連盟プロテスト合格。当時創刊された麻雀劇画雑誌「ビクトリー麻雀」編集長・渡辺参郎氏の命を受け、東北から北海道へ向けての旅打ちに出される。大学はちゃんと中退した上で東北へ向けて旅立ったが、北関東を過ぎたあたりで所持金の5万円がなくなった。以後、魚市場や雀荘でアルバイトしながら食いつなぎ、約半年をけて北海道稚内へ辿り着き任務終了。その模様は「ビクトリー麻雀」誌上で日記形式で連載され、「モンドTV」では自らが撮影したVTRがコーナーで放送さた。その縁で「New Wave CUP」「電影大王位決定戦」「麻雀格闘倶楽部杯」などモンドTVの対局番組に出演したが、大した活躍はできなかった。本人も「自分の麻雀やる姿は地味で映像向きではない」と判断し、以後は「魅力的でテレビ映えする打ち手」の発掘に努めるようになる。現在は、馬場裕一の「肩書きが嫌い」というだけの理由で代表取締役を交代させられ、「まぁしょうがないですね」と安易に引き受け、法的な責任のみ負わされている。
【バビロン制作部部長】
​       トクダ

​ケネス 徳田

1976年7月22日北海道生まれ
血液型B型
本名は徳田信一(しんいち)。日本プロ麻雀連盟所属。上智大学理工学部卒業後、同大学院理工学研究科を修了。その後IT系の企業に就職し、一方で日本プロ麻雀協会プロテストに合格。麻雀プロテストにおいては、男性はスーツ姿で受験するのが常識だったが、徳田はジーパン姿で登場し「ジーパン」というアダナをつけられた。会社では、孫正義氏が選んだ精鋭100名にリストアップされたにもかかわらず、「こっちの方が面白そう」というだけの理由でその会社を辞め、バビロンに入社。給料は約半分となった。Wikipediaにはインド生まれと書かれているが本当は北海道生まれで純粋な日本人で、ただ、ケネス徳田と日系外国人を思わせる名前を名乗っているだけである。2002世界麻雀選手権大会が開催された際、アメリカチームに欠員が出てしまい、急遽、助っ人としてアメリカチームに参入。この時、別に本名でも良かったのだが、本人が突然ケネス徳田と名乗り始めたのがきっかけである。イベントなどのTPOを踏まえ、同僚や取引先の方から「ちゃんとした服を着用するように」と指示されると、80%以上の確率でアロハシャツを着て来るので要注意。また、日本プロ麻雀協会では対局中にネクタイをしなければならないというルールを聞き、アロハシャツにネクタイをして運営サイドを困惑させた。かなりの変人ではあるが、IQは極めて高く、その証拠にパズルゲーム的要素が強い、国際公式ルールの麻雀では世界トップクラスに位置する。中国泰州市親善友好麻雀大会優勝、第1・2期双竜位など、国際公式ルールのタイトルを多数獲得している。